架神恭介『戦闘破壊学園ダンゲロス』 / 大事なのは妄想!
『戦闘破壊学園ダンゲロス』とは
講談社戦闘破壊学園 ダンゲロス|講談社BOX|講談社BOOK倶楽部
月刊ヤングマガジン
ヤングマガジン公式サイト|WEBヤンマガ
pixiv百科事典dic.pixiv.net
いろいろあるんだけど元々は架神恭介氏が作成したネット上のゲームみたい。
今回読んだのはマンガ版です。
どうでもいいけど上のヤングマガジンの URL がひどい…… yanmaga.jp/contents/sentouhakaigakuendangerosu ってローマ字かよ!
どういう作品なんだよ
簡単に言うと学園能力バトルもの。
って言うとすごいありきたりすぎて何も伝わらなそう。
ダンガンロンパとジョジョを混ぜて性転換と変態性欲をぶっこんだ感じ。
『( ^ω^)はあらゆるチート達と戦うようです』にも似ているかもしれない。
ていうか絶対ダンガンロンパの影響受けてると思ったんだけど。小説版の発行は2011年2月2日らしく (
http://dangerous.cagami.net/school/index.html
) 、ダンガンロンパ第一作の発売は2010年11月25日 (
ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 - Wikipedia
) だからビミョーですね。作者の架神さんは4年ぐらいかけてこの作品を書いたらしく。ダンガンロンパも作成年数はそれなりにあるだろうし偶然か、二つ両方に影響を与えた作品があるのかもしれない。
ダンガンロンパに似てるというのは、見せ場もなく人が死ぬから。ていうか設定は凝ってるのにそれを活かすこともなく死んでいくっていうのが似てる。
ネタバレだから書かないけど弟くんとか。
凝った設定の人がホイホイ死ぬことについて
ダンガンロンパではこれはしょうがないことなのだ。そういうストーリーなんだから。
基本的に1チャプターにつき被害者と犯人のふたりは退場しないといけない、もっと死んだり例外もあるけど。
しかし、早めに退場するからといってキャラの設定を適当にするとプレイヤーに (ああこいつは退場するんだな……) と見抜かれてしまう。ダンガンロンパのマジで誰が死ぬのかわからないっていう状態はけっこう怖かった記憶があり、これは設定が凝っていたお陰なんじゃないかと思っている。
とは言ってもこいつは最後、少なくとも最終話までは生きるだろみたいなやつはいるんだけど。あとそいつらだけの宣伝ポスターみたいな、広告での優遇があったりするらしいんだけど。
じゃあ『戦闘破壊学園ダンゲロス』においてはどうなのか。
ここで訂正をしたい。先ほど「学園能力バトルもの」と表現したけど、正しくは「学園能力もの」だと思う。バトルはしているけど、それ以上に能力が大事なのだ。
このマンガ、能力を複数回披露する人はあんまりいない。
ここはジョジョとの違いである。五部を思い出してもらうとわかりやすいんだけど、ジョルノやミスタは何回も戦うしその度に工夫して敵スタンド使いを倒していく。
一回敵スタンド使いを倒すと次のスタンド使いが出てきて、ジョルノたちはまたそれと戦うことになる。
でもダンゲロスは違う。基本的に一回しか能力を使わない。何回も能力を使ってるのは両性院くん遠距離探知係など、非戦闘系の人たちばっかりだ。
まあ戦闘系の人はどんどん死ぬからなんだけど (もちろん非戦闘員もどんどん死ぬ) 、
ぶっちゃけこの話の魅力は半分ぐらい能力だし、能力さえ出せればそのキャラはもう死んじゃってもいいのだ。でこれが行き過ぎて、もう地の文で能力説明したからキャラは死んじゃってもいいか!ということになっている。弟くん……
要するにこのマンガは個性的な能力を披露するマンガなのだ
能力 = 妄想 である。作中でもそういわれている。
戦闘描写は少ない、だいたいロジカルに相性の良い方が勝つ。ここらへんはジョジョっぽいとも思う。説明しづらいんだけど、気合いや精神力じゃないところとか、能力の制約や効果がしっかり設定されているところとか。
感想 (ネタバレあり)
物語としての感想。
性転換と変態性欲をぶっこんだ作品として素晴らしいオチだったと思います。
しかしこれ全員死んでるし救いがあるのか……?『バトルロワイヤル』を思い出す。
けっきょく子ども (生徒) に悪いやつはいなかったんだな、っていう。そこが一つ枠というか檻というか。そこを尖らせたいわけではないんだなという。
悪いのはぜんぶ大人なんだ!しかしその悪い大人に子ども (ド正義) の青い夢は潰されてしまう。という多少の後味の悪さがある。
上の方では難しいことをちょっと書いてしまったけど、ノリとか能力の名前とかセンスが溢れてて面白いし、邪賢王ちゃんかわいいし是非読んでみてください。エログロ描写はありますが。合う人には合うと思います。
映画
アブストラクト
映画を見ました。
普段あんまり映画は見ないのですが。
イントロダクション
そもそも映画とは一回見るのに1500円もかかり、しかも数時間しか楽しめないものである。
マテメソ
略
コンクルージョン
小説
無料
好きなところから何回も読み直せる
場所を選ばない
長さに制限が実質ない
描写に制限がほとんどない
視覚情報がない
聴覚情報がない
映画
有料
好きなところから何回も見直せない (少なくとも映画館では)
場所を選ぶ
長さはせいぜい3時間まで
描写に制限がある
視覚情報がある
聴覚情報がある
映画はやっぱり映像と音楽があることが強みなんですね。
音楽は大事だ。今回見たのはギャグとシリアスが交互する映画だったのだが、どっちのシーンか一発でわかってこころの準備がしやすい。
小説は想像力が大事というか、思ったのは、映画はやっぱり現実なんだ。
現実の見た目で非現実的なことが行われていると人間は受け入れられない、という気がする。
少林サッカーみたいにギャグになってしまうのではないか。
小説はそこは、映像がないから、読者の想像力で補ってなんか現実的じゃないけどこんな感じかなあという折り合いをつけてしまえる。そんな気がする。
感想
肝心の映画の感想は、芋けんぴ買おうかな。でした。
乱文だなあ、時間かけても綺麗に文章を書きたいし書けるようになりたい。
西尾維新『クビシメロマンチスト』 / やはりミステリーではない
当時の感想bookmeter.com
西尾維新はこの二冊しか読んでいないのですが、彼の特徴と言えばやはり言葉使いというイメージ。『めだかボックス』は読んでました。
で、その言葉使いでうやむやにしているのではないか、というのが『クビキリサイクル』を読んだ時の感想だったのですね。
で、『クビシメロマンチスト』なのですが。その感が更に強くなりました。
ネタバレありです、たぶん、
- 作者: 西尾維新
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この記事を書くにあたって本を読み返したりしていないので (真面目にやれよ、なのですがちょっと学校に置いてきたので) 詳細が間違ってたらごめんなさいなのです。
以下ネタバレ
さてさて。
基本的に「自殺」というのはあまり面白い手ではないわけです。密室で人が死んでたとして、それが自殺だったらそりゃなにも不可能はないよね。という感じです。
だから自殺ネタを使うのだとしたらそれも物理的に不可能とか、心情的におかしいとか、そういうトリックが入ってて欲しいわけです。
この本では二人の人が密室の中で死んでいます。巫女子ちゃんと智恵ちゃんですね。
一般的に、人間はそう簡単に自殺しません。とくに大学生で友達もいておそらく生活にも困っていないような人は自殺しません。
でもこの二人のうちどっちかは自殺なんだろうと思います、雰囲気です。精神状態です。あとは二人も密室で殺すネタを思いつかないだろうし、二人密室で死んでてどっちも他殺ってのもなあみたいな話もあります。またどちらも自殺ではないという話が地の文に出てきません。
この本を読んでいて気に食わなかったのはここです。自殺しそうな雰囲気を醸し出しておきながら、自殺ではないという宣言はしない。じゃあ両方自殺でもいいじゃん、とか。そういう感じになってしまう。結果的には自殺は一人なのですが。
もちろんメンタル面を根拠に死因を推測することはできる
しかしあの主人公の独白からしてぶっとんだメンタリティで、それは無茶では?
あの世界では一貫したメンタルのあり方があって、それに従った描写がなされているというなら僕が現実世界に捕われているだけなのですが。
読者に対する隠蔽に関して
あと「ぼく」が巫女子ちゃんの死体を見た後にしたことに関して、読者 (と警察) に対して隠蔽していたことがありました。では「ぼく」は智恵ちゃんの家から帰るタイミングで何かを見ていたがそれについて言及していない、ということはないのでしょうか?
先ほども申し上げたようにこの記事を書くにあたって本を読み返したりしていないので (真面目にやれよ、なのですがちょっと学校に置いてきたので) 詳細が間違ってたらごめんなさいなのです。
音楽 / 『詩人と私』
NHKの朝のラジオの「今日は何の日」のBGM。あまり深く考えずにNHKがつくった曲かなとか思ってたんだけど違った。
ラジオのBGMってオリジナルなのかな。
交通案内はBGMもモーツァルトのホルン協奏曲だし、知らない曲だからってそう考えるのは間違いかもしれない。
まあいいや。
いい曲だ。
雰囲気をつくるのがめっちゃうまい気がする、旋律もいいんだけどこれシンプルだから何回も繰り返してると飽きてきちゃうはず、それをいろんな楽器で雰囲気変えることで飽きなくさせてる。
と思ったけど途中で短調になってるし↑はどっちかっていうと『愛のオルゴール』かもしれない。
個人的にすごいと思ったのは1:15ぐらいで16分音符で3拍ぐらい駆け上がっていくところ、16分音符ってこの曲の中でかなり珍しいのに浮いてない、シンセストリングス?みたいな柔らかい音色だからかな。
ピアノストリングアコギコーラス謎の民族ぽい楽器ぐらいで癒しな雰囲気。
ルーファウス歓迎式典の方は一応意識して生活してる多分。
音楽 / 『ルーファウス歓迎式典』
Youtube を貼る機能を使ってみよう、と思った。
FF7 の BGM の中でもまあまあ記憶に残る『ルーファウス歓迎式典』、こういうタイトルだけどジュノンに行ったら常に流れていた気がする。FF9 でも聞けた気がする。
ルーファウス歓迎式典:ファイナルファンタジー7 - YouTube
音楽/【ルーファウス歓迎式典】 - ファイナルファンタジー用語辞典 Wiki*
にあるように、元ネタは Emerson, Lake & Palmer の『悪の教典#9 第3印象』らしい。
というわけで
Emerson, Lake & Palmer - Karn Evil 9 (3rd ...
かっこいい。
最初の四音ぐらいだけなのになぜ似ている、と思わせるのだろうか。テンポが同じぐらいってのもある。
ただ
みーーれど♯
のアウフタクトの音系が珍しいのかもしれないとちょっと思った。
シャープフラット無しならソファミ。
この音系を意識しながら過ごしてみよう、と思った。
たぶん続く。
安藤寿康『遺伝子の不都合な真実―すべての能力は遺伝である』 / ミクロな話が無くて良い
ふたごの実験、遺伝学的には一卵性双生児と二卵性双生児を比べるんですね。