西尾維新『クビシメロマンチスト』 / やはりミステリーではない
当時の感想bookmeter.com
西尾維新はこの二冊しか読んでいないのですが、彼の特徴と言えばやはり言葉使いというイメージ。『めだかボックス』は読んでました。
で、その言葉使いでうやむやにしているのではないか、というのが『クビキリサイクル』を読んだ時の感想だったのですね。
で、『クビシメロマンチスト』なのですが。その感が更に強くなりました。
ネタバレありです、たぶん、
- 作者: 西尾維新
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/06/13
- メディア: 文庫
- 購入: 9人 クリック: 125回
- この商品を含むブログ (108件) を見る
この記事を書くにあたって本を読み返したりしていないので (真面目にやれよ、なのですがちょっと学校に置いてきたので) 詳細が間違ってたらごめんなさいなのです。
以下ネタバレ
さてさて。
基本的に「自殺」というのはあまり面白い手ではないわけです。密室で人が死んでたとして、それが自殺だったらそりゃなにも不可能はないよね。という感じです。
だから自殺ネタを使うのだとしたらそれも物理的に不可能とか、心情的におかしいとか、そういうトリックが入ってて欲しいわけです。
この本では二人の人が密室の中で死んでいます。巫女子ちゃんと智恵ちゃんですね。
一般的に、人間はそう簡単に自殺しません。とくに大学生で友達もいておそらく生活にも困っていないような人は自殺しません。
でもこの二人のうちどっちかは自殺なんだろうと思います、雰囲気です。精神状態です。あとは二人も密室で殺すネタを思いつかないだろうし、二人密室で死んでてどっちも他殺ってのもなあみたいな話もあります。またどちらも自殺ではないという話が地の文に出てきません。
この本を読んでいて気に食わなかったのはここです。自殺しそうな雰囲気を醸し出しておきながら、自殺ではないという宣言はしない。じゃあ両方自殺でもいいじゃん、とか。そういう感じになってしまう。結果的には自殺は一人なのですが。
もちろんメンタル面を根拠に死因を推測することはできる
しかしあの主人公の独白からしてぶっとんだメンタリティで、それは無茶では?
あの世界では一貫したメンタルのあり方があって、それに従った描写がなされているというなら僕が現実世界に捕われているだけなのですが。
読者に対する隠蔽に関して
あと「ぼく」が巫女子ちゃんの死体を見た後にしたことに関して、読者 (と警察) に対して隠蔽していたことがありました。では「ぼく」は智恵ちゃんの家から帰るタイミングで何かを見ていたがそれについて言及していない、ということはないのでしょうか?
先ほども申し上げたようにこの記事を書くにあたって本を読み返したりしていないので (真面目にやれよ、なのですがちょっと学校に置いてきたので) 詳細が間違ってたらごめんなさいなのです。